ぽっちゃり求人で受かったピンサロの話

心踊るぽっちゃりピンサロでのバイトの日々

ぽっちゃりピンサロ嬢"ただのデブでぽっちゃりのあたしは、風俗店の求人面接を断られ続けているうちにいつしか心を失ってしまっていた。

いまは、こうしてブログを書けるようになっている自分を、2年前のあたしは想像できたであろうか。たぶん、自分の2年後を想像しようともしなかっただろう。ただ、クレジットカードで借金を繰り返し、お菓子を機械的に口に運ぶだけのぽっちゃりデブ女には、その日々がずっと続いていくのか、それがいつ終わるのかを考えるだけの思考能力は失われていたのだ。ぽっちゃりでも採用してくれる、雇ってくれる風俗店の求人を探し続ける日々が…

でも、こうようなゾンビ現象も所詮は人間だったのだ。人間にしては、ずいぶんぽっちゃりした人間だとは思うけれども、太っていても人権はある。風俗のお客様に喜んでいただき、汗水流して働いて、その対価でお菓子やもっと良いものを買って、自分の生活レベルが少しずつ上がっていくにつれて、あたしにはゾンビな日々は失われてゆき、人間としての笑顔が戻っていったのだった。

ずっと続いていたゾンビ生活を終わらせたきっかけは、何十回も「おまえはいらない」と言われ続けた求人面接の終わりと等しい。つまりは、あるピンサロにようやく採用されたその日から、人間的な生活が10年以上ぶりにあたしに戻って来たのだった。それはゆっくりとではなく、熱狂的なスピードをもって、まるで踊るような日々だった。だったもう普通の女の子は見ないであろう風俗店の求人情報をあたしも見ないですむのだから。

ピンサロの店長やオーナーは別にいたけれども、純ちゃんという若い男性店員が、店に寝泊まりしながらずっと切り盛りしていた。まだ若いのに、事実上あたしが初めて勤めたピンサロの店員は、純ちゃんだけだった。

同僚の風俗嬢たちは、あたしと同じようなぽっちゃり体型か、むしろもっとデブだった。それは「ぽっちゃりピンサロ」なのだから当たり前のことなのだけれども、デブだ、ブスだと言われ続けて、いつしか世の中の人すべてが差別的な視線をあたしに投げかけているという誤解を自分から纏っていたあたしには、正直なところ自分よりももっとデブでブスなぽっちゃり女たちに取り囲まれた豚舎は新鮮だった。そりゃそうだ。ぽっちゃりやデブでも働ける風俗店だし、そんな女性を集めるために求人を打ったり、バイト募集のチラシを貼ったり、時には求人スカウトマンに高いお金を払っているのだから。そして、自分よりも太った女たちが、生き生きと輝くような笑顔で泣き笑いしながら働いているのが衝撃だった。

太っているのに、ぽっちゃりしているのに、笑っている人がいる。そんなことで驚くほど、あたしの思考はゾンビレベルにまで低下していたのだ。ピンサロは男性の性欲を処理する店だ。デリヘルやソープランドに比べて、男性客へのサービスは画一化されている。あり大抵にいうと、ピンサロにやって来る男は性器にしか見えない。その性器を処理して、お金を機械的に頂くお仕事なのだから、無感情に決められた行為を繰り返すゾンビには最適なお仕事だったのかもしれない。これは心の中ではわかっていた、求人サイトをみているときから。ゾンビにはピンサロのような風俗仕事でしか、人間的な笑顔を取り戻せないのだとしたら、ピンサロは、なんて風俗初心者に合致する仕事なのだろうかと思う。

人間的な感情を失った人は、単純作業を繰り返させて、それを褒め続けるというリハビリ行為があることを知ったのは最近だ。純ちゃんにそのことをLINEで伝えたら、「へえ」とのレスポンスがあっただけだった。

けれども、経験的なのか、純ちゃんが運営していたピンサロはまさにリハビリ施設だったのかもしれない。勉強好きで、中卒なのに図書館が好きという純ちゃんは、どこか何かの新聞か本で、そのことを知っていたのだろうかとも思うけれども。単純作業であり、「性」という人間の本能を扱うピンクサロンは、まさに太ったゾンビ女を人間に戻してくれるリハビリ施設なのだ。それだけでなく、人並みにお給料をいただけるなんて、なんて素晴らしいことか。あたしは、あの輝くようなピンサロの日々を振り返って、20年遅れでやって来た「青春」とまで言い表したい気分だ。