ピンサロで働き続けられるのか不安
あたしは初めて働いたぽっちゃり風俗店のピンサロを退店し、再び、ぽっちゃり風俗嬢ばかりを揃えたデリヘルに好待遇でスカウトされたのだった。それはそうである。あたしはぽっちゃりなのだから。それにしてもぽっちゃり求人サイトでなく、スカウトで入れたのはラッキーである。求人サイト経由だと未経験者と同じ待遇で扱われることもあるのだから。
お店を移ったと言っても別に前のピンサロに不満があった訳ではない。しかし、嵐のような短距離走を走れるのかが不安になったことも転職のスカウト話に乗った理由のひとつだった。店員も同僚もいい人ばかりだったけれども、1本1本のお客様に対応する時間が限られていて、もっとさらに上のステップアップするためにはどうするべきか悩んでいたのも事実だ。
求人面接からお世話になっていた純ちゃんは「そのままでも良いんじゃないか」とは言ってくれていたが、40歳になっても50歳になっても、ピンサロという環境ではさらなるステップアップのために何をすべきかは誰も話そうとはしなかった。入店間際の嵐のように楽しかった日々は遠く過ぎ去り、あたしはいつしか風俗でもっと稼ぎたいという願望をどこか抱いていたのだ。この感情こそが本来、風俗の求人サイトを見るきっかけなのだから。
そういう意味では、あらたなステージであるデリヘルへの転職話が舞い込んできたのは本当にラッキーだったとは思う。それも、ピンクサロンできちんと頑張って来ていた姿を誰かが見てくれていたからなのだから、どんな仕事でもきちんと向上心を忘れずに頑張っていくことは大事なことに変わりはないのだけれども。
10年近く、ただ部屋に籠ってヨーグルトだけを食べ続けてチマチマと手芸を作っていたあたしは、毎日のように高収入と謳われる女性向け求人情報をチェックしては、あちこちの風俗店の面接に行っても断られ続けていた。デリヘルの同僚たちにそんな過去の話をしても、みんなは一様に驚いてくれるけれどもあたしは知っているのだ。
おそらく、高級デリヘルで、それなりのお給料を貰っている同僚たちも、みんなそのぽっちゃりした身体の中に同じようなネガティブな日々を抱えていることを。その日々があったからこそ、男性客に真摯に接客できて、明るく笑えているのだよね。
10年近くも人との接触を避けて、手芸に打ち込んでいた間に作った借金はピンサロで勤めている間に返すことができた。新規開店したデリヘルに転職をして初めての年末、大入りボーナスが出た。風俗業も不景気のあおりを受けているというのに、幸せなことだと思う。その景気動向は求人を探している女性も気付いていることであろう。あたしは、その嬉しいボーナスを父親にプレゼントした。恋人との旅行や、ちょっと贅沢な鞄の購入や、将来への貯金よりもなんだかそうするべきだと思ったのだ。
「ぽっちゃりデリヘルで働いて稼いでいます。これまでの御恩の一部ですがお返しします。」との一筆を添えて、ボーナスのお金をそのまま、父の住所に送った。
財布に余裕があると、心に余裕ができる。ちょっと贅沢しても困らない生活は、思った以上に快適なものだ。
ぽっちゃりという明るい響きとは裏腹に、ただの陰気な太った女だった10年間は、何が怖くて人とのコミュニケーションを断絶していたのだろうかと、自分のことながらに不思議に思う時がある。おそらくは、母への復讐だったのだのかもしれない。部屋に籠り続けて、ブクブクと太ってあたし自身のこころと身体を痛めつけるという復習。そんなことをしても、母は、美津子の身体も心も痛まないのだから復讐というよりは、あたし自身が美津子を憎むことしか生きていく術を知らなかったのだ。美津子も、父も、どうやって生きていけばいいのかのロールモデルを示す能力のない生き物だった。
なんだったのだろう、あの10年間はとたまに思い返すことがある。不思議と何の感情もわかない。怒りも憎しみもわかない。なんだか心がフラットで凪いで、そんなことよりもこれから出会うデリヘルのお客様の事を考えることの方が楽しくて、どんな出来事があるのかちょっと不安があって心が躍る。
若いころのコンプレックスなんて些細な問題だから、思い切ってチャレンジしてみたほうが明るく変われるよ、とは心から思う。だけれども、あの10年間に沈んでいたあたしに、そうアドバイスをしてもあたしには届かないだろうなと自分の事だけに思う。悩んでいるなら、まずは面接を受けてみて欲しい。ぽっちゃりして体型にコンプレックスを抱えている女の子だからこそ、明るく楽しい自分の未来を夢想する喜びを見つけられるのは風俗の仕事ならではだと思う。
デリヘルで努力をしてスキルアップして、もし次にボーナスを貰ったら今度こそ自分のために使おう。ちいさな手芸教室でも開こうか、海外旅行にでも思い切って行ってみようか。こんな生きる喜びがあるなんて、あの求人検索から風俗での仕事という自分の居場所を探していた10年間のあたしは想像もできなかっただろうなあ。